情報技術による変革の道のりを思う

祖父母と話していて、ちょっと調べて本を読んで考えれば分かることに対してなぜいつまでも堂々巡りの思考を巡らしているのだろうと思うことが良くあった。 学生時代に工場生産や農業にかり出されてあまり教育を受けられなかったというのはあるが、それにしても祖父は戦後に大学を出ている。時代的な教育の問題だけとも考えづらい。

しかし、よくよく考えてみるとちょっと調べるために私が使うのはインターネットの情報だ。書籍は書籍の価値があるので同様に情報源とする(今は過渡期で境界が曖昧とは言え、やはり書籍の形に手間暇掛けてまとめ上げた有料情報ならではの価値というのはある)が、それにしたって書籍に到達するのはweb上の書評経由であることも多い。入手経路も半数はAmazonからだ。これらを通じて学んだ情報や考え方、情報の取捨選択の方法に基づいて私は考えている。

これらはどれも祖父母が持っていない物だった。自分が何を知らないのか俯瞰しようとすれば、いくつもの紙の書籍を図書館で読むしかない。しかしこれらはちょっとした話題についての検索効率ではwebに満たない。司書に検索支援を頼もうにも我々がwebで検索するほど気軽にできることではないし、地方の図書館員に占める司書資格者は多くないし、そもそも足が悪くてはそうそう図書館にも行けない。webがなくては、webのみならず書籍や雑誌にすらろくにアクセスできない。情報を得るための情報や情報を抽出するための情報からも隔絶されていく。

ほんの二十数年ほど前まで、インターネット技術は一般的ではなく、社会の殆どはこんな状況だった。知らない間に我々はずいぶん遠くまで来たようだ。