世界線航跡蔵

Mad web programmerのYuguiが技術ネタや日々のあれこれをお送りします。

2009年01月14日

加害者の覚悟

アイヌ差別についてのブクマを全力でまとめてみた」を読んだ。そして、コメント欄にある、「で、どうすりゃいいんだ?」との意見には考えさせられる。

何をすれば良いのかという疑問

一度形成された差別を解消する簡単な方法なんかない。弾圧や後ろ指さすのに積極的に荷担するのは論外。同化も、それこそが問題であったのに。アイヌがアイヌでいるということを許さず我々と同じであることを要請するということが。アファーマティブアクションは、有効な面はあるものの、得てして無用な差異意識を固定化したり加害者側の被害者意識を高める。まー、利権の温床になるケースもある、とは思う。それよりも利権があるという陰謀論で差別を正当化する虞のほうが大きいと思うけど。問題に無関心でいれば、それは差別者を側面から支援することになる。ましてここまで同化が進められてしまった民族問題に関して言えば、無関心であることはこのままアイヌというものが無かったことになるのを支持することになるだろう。

で、どうすりゃいいの? ということになる。偶々抑圧側の民族に生まれたと言うだけの我々が、例えばみんなアイヌ差別の解消運動に時間を割いて積極的に政治活動しなければならないの? 我々にもやることがいっぱいあるのに?

加害の認識

それでも、私は加害者には違いない。我が大和民族こそが中心となって国家を作り、列強の植民地化を免れるために、あるいは帝国主義的野心から、あるいはロシアの南進を警戒して、あるいは"遅れた土人を保護・指導してやる"ために、色々とやった結果なんだから。そして、私はその成果としての国家体制による治安なり、欧米に植民地化されていないことなり、北海道の美味しい食料なりを享受しているんだから。何より、こうした享受を手放す気なんか毛頭無いんだから。つまるところ、私もまた、アイヌを踏みつけにした上に生活していると言って差し支えない。

ただ心に留めること

必要なのは、加害者であるということを受け入れると言うことだ。受け入れて、意識の片隅に留める。それだけでも出来ることは決して少なくはない。例えば、アイヌ団体や支援者が民族アイデンティティを主張する政治活動を偶々見かけたときに、ビラを受け取る。そこまでしなくても、せめて彼らに批判的な言動をしない。たまたまこうした話題がwebやマスメディアで盛り上がったのを目にしたら、せめて5分、関連記事に目を通す。身近な誰かがごくナチュラルに侮蔑的な言動をしていたら咎める。これは、私が性同一性障害について活動するに当たって、「わざわざ性同一性障害という問題に積極的に取り組むほどの義理もない、自分は特に偏見なんか持ってないと思っている人」にやって欲しいことでもある。

確かに、一個人が、特に身近に感じているわけでもない多くの構造的な問題に対して積極的に取り組んでいる時間はない。でも、心に留めて加害者として覚悟を決めることぐらいはできる。我々は、大抵は何らかの意味で抑圧者/多数者だ。特に、文字を読めるような教育を受けている人間なら尚更。だから差別や抑圧の加害者として生きることを免れない。悪意なく生きているだけでも、誰かを踏みつけにすることを免れない。それを受け入れることだ。

悪意はないのに加害者であること、これは苦しい。だから、心が弱って、「奴らが我々を不当に加害者呼ばわりする」と言いたくなる。だが、誰かを踏みつけにした上に実った果実を享受し、それを手放すつもりがないならば、それは立派な荷担である。だったら、せめて加害者として問題を心に留める。解決の足を引っ張らない。積極的に弾圧しようとする人々に対して批判的な立場でいる。せめてそれぐらいのことはしても良いのではないか。

構造化し、差別者も被差別者も差別を内面化したとき、それを解決するには時間が必要だ。加害を受け入れるぐらいはする、と誰もが思えたときにようやく、もう加害を忘れてもよいぐらいに構造が風化する日がやってくる。差別は不幸だよ。差別者にとっても。

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