悪夢の日々

昨夜、眠りについてしばらくして、絶叫しながら跳び起きた。悪夢を見た。昔の夢だ。

昔、私が自己同一性を偽って、自分の性別違和を否定しながら生きようとしていた頃の夢。良いこともあったし、あの日々において出会って今も良い関係を築いている知人もいる。でも、あれは悪夢だった。

あなたは、例えばカルト教団の類が洗脳に使うような自尊心を破壊する罵倒を周囲から浴びせられながら、「私は何の価値もないゴミです。そうであることを嬉しく思います」とかそんな内容を心の底から喜びながら笑顔で語り続けることができるだろうか。できないとしたら、あなたは私の過ごした日々では生きていけない。でも、その必要に迫られれば人間、結構何でもできるもんだ。二重思考(double think)して、自分の周囲を支配するイデオロギーに適合する思考を自然にできるようになれば。

あの日々は私にとっては本当に、心の底から喜んで自己の同一性を否定しながら生きなければならない日々だった。誰にも本心を話さなかった。苦痛でしかない善意の行為に晒されながら本心から喜ばなければならない日々だった。これが20年続いた。

その中でも、少しでも楽な場所はないかと思って私は象牙の塔に籠もることを目指したのだったけど。でも、結局はこれ以上私が私を破壊し続けながら私が存続することは不可能だと思った。私よりは、壊れるべきは私を破壊しなければ存続できない暗黙の構造そのものであると思って、私はしぶしぶ自分が性別違和を持っていることを認めて塚田医師のところに行ったのであった。そうして、結果としては中核群の性同一性障害という診断を得た。

その後に起きたのは関係の再構築だ。私が自分で思っていたほどには私は自分の本心を周囲に隠し切れていなかったようだったけれど、でも、それでも私は二重思考の裏に隠れて振る舞っていたのであり、家族や、周囲の知人は私にとって親しい間柄でありながら「知人の知人」みたいなフィルターの掛かった存在でもあるという奇妙な関係であった。私は改めて、私の知人であった人々に出会い、ある人々とはうまくいかずに連絡を絶った。正直に言えば、私は関係再構築の中で傷つけられることを恐れてその時点で疎遠気味だった人々とはこちらから一方的に連絡を絶ってしまったのだが。でも、その時点で関係が濃厚だったあいてとの関係再構築はだいたいはうまくいった。話せば分かるものだし、それよりも何よりも、私が今の私であってそれ以外のいかなる同一性でもないということを日々の生活の中で実感として体験してもらうに如くものはない。日々の実感によって私は理解を得た。とても幸いなことだ。今も関係を続けている当時の知人にはいくら感謝しても足りない。

私が構築していた二重思考は消滅し、あの行動パターンはいなくなった。あの行動パターンは最後まで私が演じるキャラクターというか、周囲の人物から収集した「この体制下において適合しうる、比較的私に近い入出力変換フィルタ」に過ぎなかったけど。私の中にいたあれが自己認識を得ると言うことはあり得たんだろうか。人間の精神構造的に。ま、いいや、こうして私は解放された。

今さらあの二重思考の裏側に監禁される日々に戻ることは悪夢でしかない。でも、睡眠中には時折そんな夢をみる。昨夜はひどかった。起きると、その夢のせいで動悸は激しく、耳の中に悲鳴が響き続ける。夢の中の人々の声が胸に突き刺さって、死にたくて仕方がない。耳を塞いでのたうち回る。そうして、疲れてうとうとするとまた悪夢を見る。そんなことを18時間ほど繰り返して、遂に眠ることを諦めて起きた。幾らかは眠れたし。

今は薬で落ち着いた。私は、今の生活と今の目的という拠るべき所を見つけたので、今は過去の日々を幾らかは冷静に見ることができる。あの中にも良いことはあったし、今ならそれを懐かしく思い出すことができる。でも、それでも実際に戻るとしたらあの牢獄は地獄以外のなにものでもない。

そろそろ眠くなってきた。今夜も、眠らなければならないんだろうか。

追記

ようのブックマーク より

yuguiさんとわたしとでは何かが違うんだよなあ。自分の能天気さが本当にありがたく思えるよ

それは私が最後まで、性同一性障害者に対して差別的だったからだろう。あるいはひょっとしたら今でも。

私は性同一性障害の中で生きていくことの不利益を思って、また周囲に見聞きした否定的言説にまきこまれて、「性同一性障害なんか」ではありたくなかった。自己の性別違和から目をそらそうとして、そこから徹底して逃げ、それを徹底して否定した。

今振り返るなら、性同一性障害であることそのものはそれほど不利ではない。私たちの世代は。だってもう、埼玉医大から10年経ってるんだ。当たり前じゃないか。もし不利益があるとしたら、私が陥っているような性別違和故の神経症状を抱えると不利だというぐらいのものだ。社会的に不当に扱われることはそうはないし、扱われたとして、然るべき筋に訴え出れば改善される見込みは高い。社会で不当に扱われることを恐れなくて良い。少なくとも、東京ではそうだ、と断言しよう。gid.jpでのシンポジウムでもね、みんな「職場でうまくいってるよ」と語っていたらしいし。

そして、周囲に見聞きした否定的言説についても今振り返るならそれを否定できる。私の周囲の人々は無意識に、深く考えることなく、ごくカジュアルに、性別越境について否定的な言をぽろりと漏らしたに過ぎない。しかし、それは彼らの無知と無自覚故なのだ。目の前に、生きた人間として越境者が立ち現れたとき、越境者がネタで越境しているのではなく本人にとっては深刻な問題なのだと言うことを目の当たりにしたとき、彼らは問題を考えざるを得なくなる。そして、否定すべき理由など何もないという事実に突き当たる。

そういうことに気づかないまま、私は自己を含むものを否定し、否定し、否定した。「自分自身を含む集団を差別する人間はいない」というのは確かナチス将校の言葉だったが、これは間違っている。それが正しいと教育され、それ以外の視点を与えられなければ、容易に自分自身を否定するような構造を積極的に支持するようになる。外部入力なしに自発的にその罠から逃れられるのは真に賢い人間だけだ。私はついに、有り余る情報を入力されて且つ矛盾から目をそらせなくなるぎりぎりまで、そこに囚われたままであった。その間、私自身が私の否定に荷担していた日々が、その年月を重く苦しいものとしている。そこから逃れた今にあって、その日々を肯定することを難しくしている。

私は愚かだった。だから、私は情報を発信するのだ。知る機会を提供するために。