シギサワカヤ

なんか、最近読書感想ばっかり書いてるね。

シギサワカヤの『 九月病 』を読んだ。なんか、この人の絵に見覚えがあるなーと思ったら、『 箱舟の行方 』の人だ。 『箱舟の行方』は、なんだか惹かれるものを感じたのだけれども、でも表紙がどうにもヤバげなレディコミ風にも見えて遠慮していたのだった。

ところが『九月病』を読むと、私の直感こそが正しくて『箱舟』表紙から受けるイメージは間違っていたことが明らかになる。せつないよ。こういうの、好きだ。

『九月病』は連作短編集、『箱舟の行方』はバラバラの短編/超短編集という形態。で、どちらも不器用な恋愛を綴っている。ひたすらに。性愛描写はとても抑制されていて、スキンシップが目立つなぁ。そうと分かってれば『箱舟の行方』も即買いだったのに!

『九月病』の兄妹の関係は私の好みにど真ん中だ。別に兄萌え属性とかそういう自覚はないけれども、ただ、寂しくて他に誰にも頼れなくて近づいていく関係というのが好きだ。近代的個人としての全てをかなぐり捨てて大好きな人と破滅できたらそれはとてもとても幸せなことだと思う。

これを読んでいてもう1つ思い出すのは、昔感じた殺意だ。私は妬ましくて憎らしくて、憎悪のあまり思わず優しく微笑んで抱きしめずにはいられなかった。憎悪にせよ愛情にせよそれは(相手|相手の境遇)への執着に他ならず、そういう強い感情が訳が分からなくなるまでに私の中に湧き上がってきたということを、私はたまらなく幸せに感じたのだった。両作品には、特に『九月病』には人の中にある矛盾を顕在化させる強い感情がちりばめられている。だから、物語の筋がどうあれ、彼らは幸せなのだと思う。

破滅にせよ、強烈な感情の振幅にせよ、スキンシップにせよ、うーん。なんか最近は現実ではご無沙汰だなぁ。というかそういう状態に憧れはするけれども、私が他人に関心を持つことは少ないから、どうしても縁がないのだよね。 キンゼイ・スケール でいうと1〜2だから0の人に比べると可能性は広い筈なんだけどなー。でも、さすがに恋愛がらみになると私のMtF-TSという状況は相手の中に内面化されたホモフォビアを刺激しかねないから、そのせいで臆病にもなるしなー。大切な人に髪をなでられたり、抱っこされたり、背中合わせにくっついて無言を共有したり、それはとても気持ちが良いことで、好きなんだけど。うーん、ここしばらく縁がないよね。

こうした私の思いは弱みでもある、と認識している。近代的個人たることの重荷、私のMtF-TSとしての重荷、その人のその人ならではの重荷、それをほんのひととき分かち合えるなら。少しだけでも孤立した人間の集合でなく、2人になれるなら、私は相手のためになんでもするだろう。そうだよ、プロフィールサイトで「好きな男性のタイプ: 駄目人間」「好きな女性のタイプ: 駄目人間」と書いたのは私だよ。えーい、こんちくしょう。私と適当にフォローしあえるような形で駄目な人と爛れた生活を送って堕落していったら、きっと私は愚痴愚痴言いながら幸せを感じるに違いないんだ。これは弱みに他ならない。

とか、そんなことを思い起こさずにはいられないような、強くて自立的で淋しくて不器用な人たちの恋愛譚がシギサワカヤの両作品なのであった。

箱舟の行方 (ジェッツコミックス)

箱舟の行方 (ジェッツコミックス)