フルーツバスケットの絶望

久しぶりに『 フルーツバスケット 』を通読したら調子を崩した。Railsメーリングリストへの投稿にレスが付いているけれど、英語を書く元気が出ない。純技術英語は別として、人間のコミュニケーションに関わる英語を、この状態で扱える程には英語に習熟していない。

最近は比較的調子が良く、まずまずのペースで Rails勉強会 に出たり AjpRails をリリースしたりしていた。お仕事の方も、まぁ一応の決着が見えてきそうで、更に次の段階に向けてのプランも仕上げて、私のやれる範囲ではよい傾向にあった。

そこへ、これである。

そこに私は私を見る。絶対的に否定されるということ。それが不当であるという認識を構築で出来ずに、ただ目の前の不快を分かり易い神話的加害者の否定として解消しようとすること。自分の被害の上に成り立つ秩序に対する憎悪と復讐感情。そして、全部を犠牲にしてでもその渦から逃れようとすること。

私がGIDという概念に出会ったのは18歳のときであったと思う。それまでは、私は、「私が私であるために大切であると考えているもの」に対して否定的な評価以外の一切の情報を見たことが無く、それ以外の態度を示す一切の人間と出会ったことが無かった。文字どおりに、一切である。家族も、友人も。18年を私は「お前という自己同一性には存在する価値が無い」と確信して過ごした。今であれば、彼らが持っていた手持ちの情報を吟味してもう少し客観的な判断を下せるのだけれど、それは後だから言えることだ。このように、歪んだ環境にあって情報が欠如しているとき、それでも、誰にも一度も教えてもらったことのない自己の価値を認識できる人間は少ない。私はそれを超人と呼ぶ。超人ならざる私は、私の周囲に存在する認識の枠組を超越することはできなかった。超人の成し遂げた偉業の上に、今の私は在る。超人ならざる我々が自己の価値を発見できる程度の情報、その象徴的存在として私は ロールモデル を強調する。

私に対する否定の構造は私にとって絶対的なものであったから、それを拒絶することは出来ない。ただ不快と苦痛だけがある。それに対する反発をどこに向けたらいいだろう。本質的な問題を認識は出来なかった。だから、それを拒絶することは出来ない。だから、反発は分かり易い構造へ向かう。斯くして、当時の私は性差廃絶主義者であったのだ。分かり易い対象への反発などまやかしに過ぎないと薄々は知っていて、頭のどこかで性差廃絶主義の矛盾を知っていても、でも私が絶対的な疑うことの許されないものとして教育された枠組そのものに反発するなどという超越は不可能であった。だから、薄々分かってはいても、そこから離れることは出来なかった。

そして、GIDという概念を頭で知って尚、覚悟を決めて踏み出すまでに4年を要した。監禁が続いた人間は、扉が開いてもなかなかな逃げ出そうとはしないものだ。異常な状況から逃げ出そうという意欲を剥奪するのが監禁である。

踏み出してもなお、そこへの怒りに振り回されているならば、囚われているも同然である。でも、私は今そこにいる。規範を造って阻害する作用。それは短中期的な秩序の構成のための手っ取り早い方法ではあるけれど、でもその阻害の上に社会秩序が成立するならば、それに無関心であった私自身をも含む全ての社会秩序の利益享受者が等しく薄く、私が情報を遮断されて私の周囲が情報を遮断されて以って阻害を構成したことに対する加害者であり得、故に私の復讐感情の対象足り得る。

その相当物が全て、『フルーツバスケット』にある。そこに私は私を見る。だから、立ち位置を確認するためにたまには振り返ってみるのも良いかと思って手に取ったのだけれど、疲れていたかも知れない。調子を崩した。

今、ちょっと関係しているMBOだって、それはたまらなく私の復讐感情を満たす。自分のものであると確信していた財が、自分の信じていた組織の枠組が、実は脆い幻想に過ぎないということを経営という見えやすい領域で思い知らされることの不快を想像して、私の心は温まる。どうか、殊その領域に関する限り何の落度もない人間が、ただ私にとっての構造的な「薄い加害者」であったというだけの理由で理不尽に、私のような苦痛を少しでも味わうように。