ビジネスにおける性別違和感のメリットとリスク、あるいは愚痴

性別違和による苦痛、その絶望感から誘導される抑鬱症状だけは如何とし難い。今日は5時に目を覚ました。早起き体質なので大体こんなもんだ。でも、ベッドから起き上がれたのは11時過ぎ。体が動かず、思考はまとまらず、ただベッドの天井を眺めていた。

この性別違和とストレスに抗う中で培われた精神的特性それ自体は大いに役立つものではある。プレッシャーへの耐性というか、プレッシャーへの感受性の鈍さ。逆境やリスクこそが楽しくてしかたがない嗜好。その中でなすべきをなしていくことへの癖になる満足感。この特性はハイリスク・ハイリターンなビジネスを進めるにはなかなか便利だとは思う。今現在も日々活用している。

しかしながら、そういった特性をもってしても未だ、根源たる性別違和本体、これだけは制御しきれるものではない。ただ、直視しないよう習慣付けることによってのみ日常生活が成り立ち、うっかり直視してしまえばこの有り様だ。起床時、意識が戻って身体性の把握が戻ってくる瞬間が一番危ない。

この危険性というのは確かに、ガイドラインに基づく療法が第2段階・ホルモン療法に至って随分と軽減した。療法に効果かがあるのは間違いないようだ。でも、ここから第3段階へは遠い。俄に捻出するには厳しい費用。順番待ちの長蛇の列。そして、分かってはいるけれど、抑鬱症状をどうにかしないことには難しい。第3段階は不可逆的で重大な決断であるからこそ、まず抑鬱症状が治まらないことには医師は受け付けず、受け付けてもらわないことには抑鬱症状の改善はなかなかに難しく、堂々巡りだ。 ブルーボーイ事件 以来の医師の法的リスクや倫理的問題を考えて、医療者側のこの態度は妥当であると考えざるを得ない。しかし、そこに今の私を手っ取り早く救う道はない。まぁ、今の会社の面白そうな動きが一通り片付いたら、しばらくゆっくりして症状を改善するのを期待するしかない。

そして、更には第3段階ですら根本的解決ではないということだ。それは苦痛の大幅な軽減ではあるけれども、解消ではないのだから。その軽減の程度が、私の身に着けた精神的習慣を以って制御可能とせしめるほどのものであるかどうか、今は分からない。それでも一通り手順を踏んで経験してみて、ダメだったらそのときの絶望を味わうのもなかなか面白いじゃないかと、私のリスクを楽しむ心は言うけれど。

まぁ、進むしかないという心構えはビジネス上は優位だよね。たぶん。でも、まだ回復しきっていない。体が怠い。