言葉

世界は言葉でできていて、だから名前のないものについて考察はできない。

「私は何者でもない」と私はそのことを呼んだ。名前のないことが名前であった。

だから、名付けることで問題を可視化すると言うことがジェンダー論の常套手段なのであって、せめて>>1 と呼ぶことが「仕様書なしさん」や「132人目の素数さん」や「名無しが氏んでも代わりはいるもの」の住まう国での習慣なのであって、人々は名前を知られることを恐れ、祈りの言葉は心に染み渡る。

そんなことを、ふと思った。