ピアノとお華

私の意識のコントロールを外れたところで否応なく自己というものを見つめさせられるようなものは、久しく苦手としていた。性別違和を忘れて社会生活を送っていくには不都合だったからだ。社会に適合的な仮面を維持して生きて行くには、その仮面の下から私を汲み上げてさらけ出す作用は独り相撲ににた疲労をもたらした。そして、忘れたい苦痛を思い出させるものに他ならなかった。

コントロール不能な深い内省。それをもたらす趣味は封じた。ピアノやお華がそうだった。それは私の奥深くにあるものを形象化し、私の眼前に突きつける。先週、ようやくこれらの趣味を再び始めることができた。本当に久しぶりで、随分鈍ってはいるけれど、でも開放的な気分を味わう。私が存在することへの自縛をまた1つ、解除したということなんだろうか。