若い性同一性障害者への助言

改名もしたし、ホルモン療法も続いているし、会社に甘えた感じではあるもののとりあえず社会生活はできているし、そんな感じで少し身の回りが落ち着いてきた気がする。ここらで、私より若い世代の、特に小中学生ぐらいで性同一性障害の方を対象に、今まで私が思ったことをまとめてみる。

まず、「性別違和を感じているなら、恐れることなくそれについてよく考えなさい」ということ。

思春期に一時的に自己の性別を受認できなくなるという例は確かにあるらしい。そして、性同一性障害であるというのは現状で確かにハンディキャップではあるから、だからそのことを認めて社会的に不利になるのが恐ろしくて、「今の自分の状態(性別違和)は一時の気の迷い」と思いたくなってしまう人がいるのは分かる。

でも、物心付く以前から、あるいは小学生ぐらいから、あるいは、特に二次性徴が始まってから、性別違和を自覚するようになって、そして性同一性障害と診断されて、そうして生きていく人たちが厳然として存在する。

「一時的に受容できない」状態の人が、「自分は性同一性障害」と思いこんでしまうのは多分無用に軋轢を生じて、本人にとっても不自然なことで。でも一方で性同一性障害である人が「自分は一時的なもの」と思って何とか適応しようと頑張ってしまうのも、あれは辛いし、例えば「『異性愛』の実験」に巻き込まれる相手だって不幸だと思う。だから、もし自分の状態が「性別違和」かもしれないと思うならば、よくよく自分で考えて欲しい。ということ。

そして、「お医者に掛かりましょう」ということ。ジェンダークリニックの医師は豊富な経験と知識を元に的確な診断を下せるし、そしてまた、性同一性障害者の社会適応についても知識を持っている。だから、いつまでも自分だけで考えていて、DSM片手に自己診断してしまうのは望ましくはなく、ある程度自分の考えがまとまったら医師の診断を受けるのが望ましい。早めに受診すれば、それだけ早めに診断が確定するし、適応も楽になるはずだしね。

それから、「日記を付けましょう」ということ。まだ考えがまとまらない場合、あるいは、家族の理解を得られそうになくお医者に掛かるのが難しい場合でもこれはできると思う。

記憶というのは結構曖昧で、長い年月の間には都合良く編集されてしまったりもする。だけれど、日記というのは少なくともその時点での自分の意識の断片を克明に記録してくれる。だから、「自分がいつから性別違和を感じていたのか」「自分は本当に性別違和を感じていたのか」と疑問に思ってしまうのを防止できる。それに、きっと考えをまとめること自体にも役に立つ筈。そして、改名や性別変更の申し立てをする際に有力な証拠となる筈。

そして、「これからは何にでもなれる」ということ。私の世代ぐらいまでの性同一性障害者の間では良く聞くけれど、「自分の将来像を思い描けなかった」。私も。でも今は、ロールモデルができつつあると思う。性同一性障害者は、ライターになれると言うことが分かった。区議会議員になれると言うことが分かった。競艇選手になれるということが分かった。そして、身の回りを見渡して、非常に多いと思われる、プログラマシステムエンジニア

先例はこれだけある。そして、足りない部分はこれから広げていくしかない。でも、広げていくことができるというのはもう証明されている。世の中は、少しずつしか変わらないけれど、変わりつつあるのだから。私たちが変えるしかないし、そして、私もまた、少しでも変革を手伝えたら、と思って生きている。これからの若い世代が生きていく道の幅を少しでも広くできるように。